過去のラジコン飛行機
 自分が本気でラジコン飛行機を作り、飛ばし始めたのが1983年。中学の頃からラジコンには興味を持っていたが、当時はお金持ちの遊びで、とても買えなかった。
4チャンネルプロポの値段が今と昔でまったく変わらない、むしろ性能は何倍も今の方が良いのだ、中学の頃の5万円なんて・・・車もそうだが、本当に今の子ども達は恵まれてると思う、物にはね。

 この写真の黒い方の機体が、自分が作り始めて2機目の低翼機です。当然1機目は隣に写ってる様な高翼機ですよ、最初は安定する方で練習しないとですからねぇ〜。
低翼機と高翼機の違いは、簡単に言うと、低翼機がRX−7、高翼機がセルシオですかね?なんとなく解るでしょ?
 20クラスのバルサキットで¥6,000くらい、自分で作ってエンジンとプロポ込みで¥40,000くらいだったかなぁ〜
 この頃からスケール機(実在する飛行機の縮小版)にはまり、手始めに60エンジンクラスのセスナ722を作った。ちょっと難しかったが、模型屋の親父のアドバイスを貰いながら完成させた。この機体は現在(2007年)も残ってます。
 自分が所属していた、おおとり飛行クラブの「スケール機の集い」当時は年に1回行われていたが、東北最大級のイベントでした。(写真は1991年)
 ゼネラル・ダイナミクス F−16 ファイティング・ファルコン(アメリカ バイロン社製キット)90エンジンクラスのダグデットファン機であります。FRP胴体で部品価格約35万円、完成機価格75万円(1990年当時)
 この写真は茨城阿見飛行場に遠征展示飛行に言って飛行中の写真です。「航空ファン」に載りました。
 ラジコン仲間とF−16です。
 自宅から飛行場まで25キロ、当時乗っていたカムリの屋根の上に積んで移動してました。
 だって、全長1850ミリもあるから普通では無理ですよねぇ〜。
 こんな感じでいつも移動してたので、目立ちましたよぉ〜(笑) この機体はノーコンで、川に落ち行方不明になってしまいました。(T_T)
 自宅のラジコン部屋でF−16を製作しているところです。厚さ1ミリのFRP胴体でとても軽いです。
 2機目のF−16です。
この機体は実機試作機当時のカラーリングにしてみました。結構派手で一般受けしましたね。
 この機体は現在長野にお嫁に行きました。
 1992年当時の自分と2機目のF−16です。当時は髪フサフサです(笑)。いえ、まだハゲてませんよ(笑)
 何やら、飛行前に調整が上手く行かないのか??? なにせ、このエンジン最高回転33000rpmで回すんですから、ニードルセッティングが難しいんです。静止状態と上空を飛行している時の回転数は全然違いますからねぇ〜、上空を飛行している時を想定してニードルを合わせなくちゃいけないから・・・
 なんせ、上空では260km/hでますから、この飛行機(^_^)v
 出ましたぁ〜(^O^)/
マクダネル・ダグラス F−15 イーグル(アメリカ バイロン社製キット) 部品価格約75万円 当時の完成機価格150万円〜200万円
 買っちゃいましたよぉ〜、借金です。
 ついにやりました、製作期間約3ヶ月(毎日3時間くらい)
塗装はF−15J航空自衛隊仕様です。
 塗装完成(^O^)/
90エンジンクラス、ダグデットファン2機搭載。
全長3200ミリ
 完成です。
あとは飛ばすだけ・・・
 この写真は山形へ遠征し展示した時の写真です。
なぜ飛ばさないかって?滑走距離が舗装路で最低200m欲しいんです、ですから一般的なラジコン飛行場では離陸出来ないんですよぉ〜(~_~;)
 当時の愛車、ハイラックス・サーフの屋根にF−16同様に積んで移動です。
 製作途中のF−15です。
 おおとり飛行クラブ主催「スケール機の集い」の時のしゃしんです。この時もデモンストレーションでエンジンをかけ、滑走のみの展示です。
 この後、茨城の阿見飛行場に行って初飛行となりました。飛んでる姿は何とも言えず最高でしたよ。
 以下、自宅前でF−15とF−16のツーショットです。
 カッコイイ(^_^)v
 当時8才の長男と(1992年)

 このF−15は、東京に嫁に行き、その後富山に行ったとの事。